JA7LK 無線歴 Profile ↑
1957 米沢市に生まれ(1940年)小学校の高学年から半田ゴテを握る。
高校2年で国家試験に合格し12月にアマチュア無線局を開局する。
当時メーカー製の無線機は無くケースなどは手回しドリルで孔をあけ
板金加工し個々の部品を半田付けし組み立てた。
あのように苦労して作り改良していった経験が後々まで生きたと思う。

土地が広く長いアンテナを、はれたので3.5Mhzが好きであった。
翌年の新2級アマチュアへの移行により外国との交信に熱中する。
この年の10月4日に初の人工衛星 スプートニク1号が
打ち上げられたが開局準備中で受信できなく残念でした。
1962 自作のSSB送信機による交信が主になる。
PSN方式のSSB送信機の記事をCQ誌(1966-3)に投稿する。
在学中に第2級無線技術士の試験に合格したが、その資格が
必要な仕事につくことはなく無線はアマチュアであった。
1967 宮城県の音響機器の工場に勤務となり寮生活で50MHzの
運用が主となる。
多バンドのトランジスタラジオからステレオやトランシーバなど、
いろいろな機種の導入役として技術部門を担当する。

SSBハンドブック(1969)のPSN方式の部分を執筆する。

1971 小さな借家で所帯を持ち144Mhzや衛星通信が主となる。

長女 1972年  次女 1973年

デジタル機器の生産を担当しソフトウェアの面白さを発見する。
使いやすいマイコンなど無い時代でRAMは256Bitであった。
この時に一緒に仕事をしたメンバーはハムが多かった。



1978 岩手県千厩町の工場に転勤になる。借家で狭かったが小さなアンテナでHFのDXなどを楽めた。
パソコンを初めて購入する。(Basic Master Level 2)
千厩に住んだのは短期間でしたがハムの皆さんも一般の方も親切で気持ちよく過ごせました。
1981 友人の熱心な誘いがあり米沢市にUターンし電子機器の会社で開発や製造に従事する。
435Mの運用を開始し PACKET 通信などを行うが、近所にTVIに過敏なテレビがあり意欲が無くなる。
新築時に確保した無線用の部屋は子供の受験勉強の部屋から次第に家族の雑多な物置になってしまった。
2000 技術者としての第一線を引退して乏しい悠々自適(?)の生活になる。
仕事は真空管からLSI  DCからUHF  アナログからデジタル と多方面の技術の発展を楽しめた。
ハムが趣味で憶えたことの応用として楽しめた事もあり、更に良い家族に恵まれ感謝です。
2007 通信はインターネットが中心になり無線は休業に近い状態であるがハムの免許は50年以上継続している。
今でも会社に技術顧問として時々呼び出されことがある。

2008 50周年を過ぎてからネットで、あのSSBハンドブックに書いた古い記事を参考に作った方や
今でも自作機に生かして楽しまれている方と偶然に、お会いできて感激した。TNX
2011 3月11日 東日本大震災
開局まもない時期から親しくQSOさせていただいた福島の浜通りの方々の消息が気になります。
2017 再免許しました。 このアンテナは老化したようなので下ろしました。
胸にペースメーカーを入れたの電磁波に注意とのこと。影響は感じません。
2018 「アマチュア無線の日」とのこと、もはや使わない電鍵を洗濯してやりました。
2022 アンテナは降ろしましたが局免許は2028年まで継続としました。